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    プロフィール  
         
         
         
         
         
 
森の思い出 この亜高山帯と呼ばれる山の森には、人の心を躍らせる岩山にも、陽の光が愉しく遊ぶ草山にもない独特の静かな、影の濃い空気が漂っている。それを山の霊気と呼んでも、おそらくそんなに間違いではない。シラビソやオオシラビソ。 山口耀久
  あるいはコメツガ、トウヒといった黒木の針葉樹たちの、ここは太古からの平和な共和国。彼らは寄り集まって、ときに荒れ狂う嵐に抵抗し、雨の日には同じ冷たい雫に濡れ、変わらぬ共存の秩序のなかで生きている。
 そんな森の中を、一人でとりとめもない想念の糸を手繰りながら歩いていると、ふと、どこかで誰かの眼に見詰められているような気がして、思わずあたりを見回すようなことがある。見回しても、誰が見詰めているわけでもない。だが、どうもそんな気持ちがしてならないのは、まわりを囲む樹木たちの深い沈黙が、そういう幻覚を誘い出すのかも知れない。
         
 山の小屋での滞在が幾日かつづいて、ある日、歩き馴れた道をわざと外れて、踏跡のない森をさまよい歩いたことがある。見通しのわるい、地形のはっきりしない樹木帯は、注意を怠ると方向感覚に狂いが生じて迷いやすく、それが却って愉快でないこともなかった。
 林床に藪や矮樹の少ない森の中は、概して歩きよかった。苔のふっくらした土を踏んで進んで行くと、朽ちて大地に還ろうとする死骸のような倒木があり、また地面にこぼれそうに咲いているオサバグサの白い可愛い花を見つけたりもした。平らで起伏の乏しい森の中にも、傾斜に忠実な水の流路があって、今は水の無い細い溝状の源流の沢を、蛇行する水の意思をたどるように歩いて行くのは、なにか秘密めいた愉しさがあった。
 別の季節の夕方、ひろびろとした山の斜面を見渡す岩の頂上に立って、暮色をたたえた樹海の湖に心惹かれ、そのまま歩きだして、一人で湖畔の森で一夜を明かした思い出もある。五月の夜はまだ寒く、大きな樹の根方にすわって眠れなかったが、ちっとも寂しくはなかった。黒い樹林の透き間から星が物語を聞かせるように瞬いていて、自分がひどく贅沢な夜を過ごしているような気持ちさえした。
 何日も風の音ばかり聞いて過ごした、冬の森での滞在も忘れがたい。風雪の森は、樹がきしみ、山が鳴り、夜になっても断末魔の悲鳴は止らなかったが、それだけに雪晴れの朝の輝しさは格別だった。濃紺の空の下で樹々は真白に雪に包まれ、そのどこかで元気な声でコガラが鳴いていた。
 「雪晴れの朝の悲しいまでに澄んだ明るいコガラの歌」と、そのときの私の手帳には書いてある。
 
       
       
     
       
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